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生活への愛着

 訪問診療を始めて気がついたのは、患者さんたちがそれぞれの生活に強い愛着をもっていることでした。家に帰りたいという患者さん達の声は昔から聞いていましたが、それが一体どういうことなのか? 以前はよくわからなかったのです。

 

 訪問診療医が守らなければならないのは、「患者さんの生活」だと考えていますから、今となっては笑い草なのですが、開院当初はとまどい、よく副院長にたしなめられていました。指摘をうけてもなかなかわからなかったのです。出会いや経験と共に、認識を深め、今となっては、「生活への愛着」という表現で、自分のなかでも大切な価値の一つとして認識できるようになりました。

 

 この変化は自分にとってとても大きな変化でした。若い頃の私は、「現代人というのは、毎日の退屈さに絶望しながら、非日常のなかに意味を見出して生きるしかない」と思っていました。今となっては楽しみが満載の日常と思えるようになったのですから、世の中が180度回転するくらいの大きな変化です。

 

 白菜の漬物を美味しくする方法を満面の笑みを浮かべて説明してくれる男性もいました。趣味で作った人形たちに囲まれながら、手にとって懐かしみながら笑みをうかべる女性もいました。そういう素敵な笑顔を見ることで、毎日を丁寧に生きることの大切さを学ばせてもらいました。そして、日常を楽しく生きる術を1つ1つ知ることができました。日常を楽しくするのもつまらなくするのも自分次第なのですね。

 

 四季折々の花や草木の変化、料理を美味しくする方法、部屋を心地よい空間にする工夫、ペットとの触れ合い、趣味を通した出会いや作品、日々の生活への愛着が、形を変えて生活を彩ってくれると今では思っています。数年前から自分でも料理を作るようになったのですが、こうすると美味しく食べられるとか、そういう情報を患者さんから仕入れる機会も多く、仕事で患者さんと話をすることが以前にまして楽しくなっています。

 

 毎日やらなければならないことに追われていると、その時その時の時間を楽しむことが難しくなっていきます。けれども、そうではなくて、季節の移り変わりを、風の匂いを、旬の食材を、自分が楽しい、美しいと感じる感性を育むことが大切なのだと思います。でも、自分にとって、ここに気づくまでが難しかった。やはり、人との出会いが、人を変えていくのだと思います。

 

 そんな素敵な出会い・成長に溢れたこの訪問診療という仕事が、私にはとてもありがたい。