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「自分の最期」と正面から向き合える人は少ないけれど

 「理想の最期」を迎えられるように訪問診療を始めました。そのきっかけとして、病院での痛ましい最期がありましたから、自分としては、最期の迎え方へのこだわりがとてもありました。

 癌で余命幾ばくもないと宣告された人たちがどのように最期を迎えたいと思っているのか?とても興味がありましたし、その意向に添えるようにするのが自分の役割だと考えました。

 けれども、訪問診療を始めて分かったのは、最期の迎え方にこだわりを持っている人は、ほんの僅かだということです。

 本人の意向に沿うこと以上のことはないので、本当はどう考えているのかはっきりしてほしいのですが、考えを聞こうとすればするほど、「これからあなたは最期を迎えようとしていますが、どうしたいですか?」と、痛くもない腹をまさぐるような質問になってしまうのでした。

 初めは無力感を感じましたが、患者さんの話を聞いているうちに、家に戻ってきてやりたいこと、今まで楽しみにしていたこと、今楽しみにしていることなど、全てがその答えになっているのだと気が付きました。

 生きるということは、生活することなのですね

 あまり自分の生活を顧みなかった自分は、逆に生活の楽しみ方を教えてもらうばかりでした。病気の話やこれから生じるであろう問題については、医者の方が詳しいと思います。けれども、それぞれの人にとって大切なのは、対話を通して、今まで生きてきたように生活を送ることなのだと思います。

 さまざまな生活を楽しむ趣向があるなかで、その都度、患者さんと向き合ってどうしたいか聞くこと、少しでもやりたいことが実現できるように協力することが医者としての自分の役割だったのですね。

 概念的に「死の迎え方」についての答えはでてこないかもしれませんが、生きて来た道のりが、一緒に生きている家族が、家での生活が、その答えなのだと今は思っています。