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開業8年間の振り返り

 2014年の4月に自院を開業して丸8年が経つ。少し振り返ってみたいと思う。

 当初、自分にかかわるすべての人が「幸せな最期」を迎えるべく自分の役目を果たそうと躍起になっていたが、病院で幸せな最期を迎えるような人たちは、普段から幸せに暮らしている人だと気がついて、愕然とした。

 自分の医者としての役割は何なのだろうと試行錯誤を繰り返した。その対象は主にいわゆる被害者意識に囚われている人たちだったように思う。考え方を変えれば、決して不幸とも言えない状況にあるように見える人たちを、なんとか精神的に穏やかに生活が遅れるようにするための知恵を探し続けた。

 

 始めは、死に方にビジョンを持とう!と言っていた。(今となっては、苦笑いするしかない) 死にたくないから、あんなに辛く意味も見いだせない延命治療を選択する家族に異を唱えるための方便だったのだが、当然のごとく、聞く耳を持つ人は殆どいなかった。家族の最期を考えたくない人たちに、ビジョンなんて無理だ。既に自分の最期を見据えて覚悟を決めている人たちは、理解してくれていたが、人の意識を変える力はまったくなかった。

 

 ヴィクトール・フランクルの言う「意味による癒やし」に触発されて、意味を患者さんと一緒に探ろうとしていたときもあった。うまくいく時もあったが、方法論が良かったというよりも、恐らく患者さんの内面に焦点を当てて、関わろうとしたことが、良かったのかも知れない。しかし、そこまでの関係に自分たちが成れないことも多く、改めて患者さんとの信頼関係の構築の難しさを感じた。

 

 その後、患者さんの良き理解者になることで、心の支えとなれることに気がついた。(小澤竹俊先生の本は、とても勉強になった)それまでも自分たちがやってきたことなのだが、言葉として、整理されると自分の進むべき方向性が整理された。

 

 手を変え品を変えて、アプローチ方法を考えてきたが、最終的には、患者さんや家族が自ら変わろうと思わない限り、何も変わらないし、変わりたくない人に変わるように促すこと自体、相手への否定にしかならないと考えるようになった。変わらなければならない現実を突きつけても、本人にとっては、脅迫されているに等しい精神的ストレスでしかなく、何の解決策にもならない。

 

 私達にできるのは、(適切な医療の提供の他には)気持ちや考えを受容すること、気持ちや考えについての問いかけ、状況や気持ちを整理するためのサポート、一緒に喜び、一緒に悲しむことくらいかも知れない。最終的に判断するのは、本人であり、本人に先回りして正解を用意しておくことは恐らく間違っている。

 

 1年くらい前だろうか?エドガー・H・シャインの書いたHELPINGという本(邦題:人を助けるとはどういうことか)を読んだ。非常にためになった。今まで試行錯誤してきたことが、どういうことなのかがわかりやすく細やかに書かれていた。当院の開院前から出版されていた本だが、恐らくここまで試行錯誤してきたから納得出来るのではないかと思う。

 その本の裏表紙にこう書いてあった

「われわれが、支援者としてもっと有能になれたら、誰にとっても人生はよりよいものになる」

 支援とは、可愛そうな人を助けてあげることではなく、支援する側もより良い人生を歩むために必要なプロセスの一つなのではないかと今は考えている。